ウェルテルに似ている。

 

ここに「今からやる!」って書いたときは

だいたい、ほんとにやるの、あたし。

  と書けば、次もちゃんとやろうとするでしょ。

     そうやってなりたい自分に近づくスタイル。

 

昨夜、久々に練習しました。

楽譜を開いたときは、もうすっかり忘れたかも・・

という不安を感じたけれど

すぐ思い出せました。

 

本当に楽器を持って練習したら

酷い音が出ちゃうかもしれないけど

そこは楽器を持たなければどうにもならないことだから

ばっさりと無視して

 

音符の並び通りに動けるかってことだけ考え

隣のひとの音を感じるように練習。

 

歌って踊るやつなんか

歌詞も踊りも忘れたんじゃない?

って思ったけど

始めたら意外と覚えている。

 

自分は自分が思うほどだめじゃないし

ばかじゃない。

そのことには

やってみなければ気付けないんだよね。

 

 

今朝も7時前に起きて

なにげなくネットをみていたら

 

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こちらをみつけました。

双葉社のホームページにありました。

 

読んだことがなかったので

ちょっと読んでみよーって軽く思って

読み始めたら

とてもおもしろかったので

そのまま1時間ぐらい読み続けました。

 

続きは11日に配信されるらしい。

えー、早く読みたい。

買っちゃう?

あ、そういう作戦なのかな・・。

待つもん。忘れそう・・。

いや待って、自分は自分が思うほどばかじゃないのよ!

覚えていられる!きっと・・。

 

「本で心の旅に出ましょう」って

なんかいい。

 

 

登場人物の「ウェルテル」が

Kるんの中3の時の担任みたいだった・・。

 

あのころ、学校に行けないことは

だめなことみたいに言われたし

「卒業した後の人生のほうが長いから

ここで壊れるわけにはいかないんです!」

っていうあたしの主張は

先生の耳も頭も体もすり抜けたみたいで

 

「給食は教室で食べられる?」

   教室に行く階段すらあがれなかったので無理。

「卒業式は出ようよ。」

   出ませんと断って、校長室でやってもらった。

「みんなと記念撮影だけしようよ。」

   集団に混じることが無理だった。

「じゃあ、クラス写真、家に送るから!」

   苦手な集団の写真はいい思い出にはならない。 

 

というような言葉は

Kるんの気持ちを、卒業近くになってからも

どんどん学校から引き離した。

 

似てるわ、ウェルテルと。

生徒を名前で呼び捨てにするところも

あの有名な「ワン○○オール、○○○○ワン。」

みたいな言葉を教室に掲げていたところも。

   あの言葉に罪はないけど。

 

あたしの5、6年生の時の担任もあれを掲げていて

始めは、すごくいい言葉だと思って

すごくいい先生だと思っていたけど

6年生の終わりごろには

「結局、先生は、

先生の思い通りに成長するこどもがすきなんだ。

あたしみたいなのは先生の目に映ってすらいない。」

って思っていました。

 

 

コロナの休校が終わったら

学校は何か変わるのかな。

 

学校の教室で学ぶことが一番重要なことじゃない。

みんなと同じ空間にいることだけが大事なことじゃない。

体育祭や学園祭や卒業式の

場にいることに意味があるんじゃない。

 

どのような気持ちで取り組んで

どのように成長できるかが大事なことだ。

それは1人でもできることだ。

それをサポートしてくれる大人がいたら

とても心強い。

 

 

 

思いがけず、朝から急に旅をしてしまい

なにかしらの結論みたいなものが出たわ。

旅の続きが楽しみだー。

忘れないで、来週のあたし。